目次
先生と面談するまでの流れ
私たち両親から次男へ告知をしたあと、詳しい話を担当の先生からお話しいただける時間を作ってもらった。
他の患者の方はどうなのかわからないが、18歳で進行したがんということもあったのか、私たちの希望に沿った対応をしていただいた。
- しっかり検査をするためと本人へ伝え、地元の病院から救急車で大学病院へ転院
- 本人には何も伝えず入院
- 親と担当医だけで話す
- 親から本人へ告知
- 担当医、本人、親と面談
このような流れで「本人へ告知」するまで、まあまあの段階を経てもらった。
- 本人に恐怖心を与えないように
- あっけらかんと
とにかく次男を「守る」ことだけを考えていた。
担当医と面談
私たちから本人へ伝えることはできた。
あっけらかんとできた。
涙は見せず、普通に会話ができた。(と思う)
次男の心配はこの先の「スケジュール」だ。
初めての「手術」はどういうものか、その後いつから「復学」できるのか?
すでに最初の病院へ緊急入院してから1週間が過ぎていた。
不安と疑問が出るのは当然である。
「詳しいことは先生が今から説明してくれるんだって!」とここも至って平静を装い次男に伝えた。
しばらくすると看護師さんから呼ばれ、先ほどお話を伺った面談室へ案内された。
ベテラン先生と若手の先生がお掛けになっている。
私たち親子は少し緊張した面持ちで先生方の前に腰掛けお話を伺う態勢になる。
病状説明
まずはベテラン先生から、現状でわかる病状の説明がされた。
- 大腸がんである
- 腸が閉塞しているので手術をして切除する
- 手術は「腹腔鏡手術」となる
- 転移している可能性もあるので検査も行う
そのようなことを、さっぱりと説明されたと思う。
いかんせん5年前のことなので前後関係が曖昧ではあるが、はっきり覚えているのは「めっちゃ簡単そうに説明するわ~!」ということ。(笑)
つまり、こういうことだと思った。
ここは大学病院で、毎日毎日重篤な患者さんを診ている。外科の先生も毎日毎日手術しているのであろう。
日常なのだ!
いつものことなのだ!
あっけらかんなのだ!
最初の病院では院長先生はじめ皆さんが手厚い対応をしてくださった。感謝しかない。
ただ、それだけ「大変なことになってしまった!」と気づかされ、恐怖におののいていた。
しかしここ、大学病院では、良くも悪くも「重篤な患者」だらけで、若かろうとなんだろうと、「うん、そう、君、大腸がん!」って感じ。
特別扱いはない。
「そうだよ、そうだよ~、がんばろうね~!」って感じ。
次男からの質問
先生の「明るい」とも言える説明に次男も安心したのか質問が親の私たちとはまるっきり違った。
- いつから大学に行けますか?
- いつからテニスできますか?
- 手術は痛いですか?
- 海外に行くとき、ピンポンピンポンってなりませんか?
(腸を繋ぎ合わせるのに金属の輪っかのようなものを使用すると聞き)
(;´∀`)
なんとも悲壮感のない、危機感のない、腸(超)前向きな質問に私たちはホッとした。
先生の回答
- いつから大学に行けますか?
→ 順調なら手術終わって少ししたぐらいじゃないかな~。え?試験?学部なに?へ~、そうなんだ~♪ - いつからテニスできますか?
→ 別にいつからでもいいよ!でも、結構下腹に力いれない?大丈夫だと思うけどちょっと加減したほうがいいかな~♪ - 手術は痛いですか?
→ 僕、手術したことないからわからないわ~、でも患者さん結構痛がってるよね、あ、君(若手のお医者さん)、盲腸の手術したって言ってたよね、どうだった?痛いよね? - 海外に行くとき、ピンポンピンポンってなりませんか?
→ そんな話し聞いたことないから大丈夫やろ♪え?どっかいく予定あるの?
とまあ、だいたいこんな感じで話しは進んだ。和やかとも言える雰囲気だった。
ついでに私も質問してみた。
- 腹腔鏡手術だとよく見えないと聞いたのですが・・・
→ いや、大丈夫ですよ~!ここ(大学病院)では主流ですよ~♪ - 腸を切っちゃって無くなったところって空洞になるんですか?
→ いや、自然に埋まってきますよ~(笑) - 放射線科の○○教授の秘書さんとお仕事で繋がってまして~(ちょっとマウントとってみた)
→ そうですってね~、いや、緊張しちゃうな~(笑)
とまあ、親の私もちょっとトンチンカンな感じの質問をして、場の空気を和ませることが出来たのかもしれない。
やはり一番は外科の先生が本当に手術に慣れている「ベテラン」であったことで「悲壮感」がなかったことが私たちの不安を和らげてくれた。
こんな感じで次男の転院からの告知はスムーズに行われた。
ここからが次男の本当の闘病になるのだが、最初の難関を乗り越えた。